代表取締役
貫洞若菜 かんどうわかな
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代表取締役の
貫洞 若菜(かんどう わかな)です。
色々なご縁から「遺品整理」に目をとめ、遺品整理業の専門家として独立しました。 ちょうど自分の父親が介護施設にお世話になるようになり、実家は母ひとり暮らしになっていた頃でした。母は綺麗好きで年齢と家の広さに関わらず一人でもきちんと生活していましたが、父の書斎はそのままで二室ほぼ全部が本で占領されています。これを将来どうするのか、まだ私たち家族でも決めていませんでした。「片付けるときはどうするんだろう、その時考えるか~」 そんなことをぼんやり考えている時、県内に住む叔母が突然倒れて亡くなりました。叔父はひとり暮らしとなりましたが、「実は、妻はこの家を建ててから片付けというものをしたことが無かったんだ」と。私も子供の頃に遊びに行った記憶がありますが「物がたくさんあるな~」という印象でしたが、華やかにおしゃれだった叔母がお菓子を出してくれたりした記憶のみ。素敵な叔母の意外な一面でした。叔父が写真を叔父が送ってきました。Before&Afterの写真です。お嫁さん達がプロに頼んで大ダッシュでゴミ袋20袋以上を出し、弔問客をなんとか迎えられるようにしたのだとか・・・。今後、超高齢社会の中で、こういう形で突然家族が不在となり、遺された人がどうしてよいのかわからない、ということも起こるというのを身近に感じました。 遺品整理の分野にひとたび目が向くと、遺品整理や生前整理をとりまく問題の奥の深さ、これはただ単に「物を片付ける」だけではないことに気づきました。社会構造、意識の問題、行政の仕組みその他、考えることが多く、見逃してはいけないものを感じました。伊豆は高齢者半島です。ここで専門業者がいないならば、私たちが旗揚げして小規模でもサービスを開始してゆくべきだと考えました。 *************** 創業から半年ほどたち、2018年、まだまだ手探り状態の3月、父が他界しました。母は「本はどうするの」と、まだ元気な時に聞いたことがあったそうですが、「長男が片付けるだろう」と言っていたそうです。 結局、四十九日法要ごろに、傷みがはげしく埃いっぱいの雑誌類のみ、私は母に呼ばれて弊社スタッフと共に処分しました。 **************** こう書いて数か月後、父が旅立ってから10か月後の1月に今度は母が突然亡くなりました。それは全く予想できなかった晴天の霹靂。自分の誕生月2月を法人化のめどとしていたのも、半年以上手をつけられませんでした。 「お父さんの遺品整理はまだ本格的に手を付けられないから、先に自分の生前整理を進める」といって私を呼び、自分の本や洋服・バッグ類などを片付け、押し入れ一か所と物置スペースをスッキリさせていました。 しかし、それからは「暇なときに来てね。またやろう」で終わってしまいました。 きれい好きだった母は、道半ばの生前整理、「本当はもっときちんとしておきたかった。終活をちゃんとやるつもりだったのに、時間がなかった。お父さんが向こうから呼んでいて」と言っているような気がしてなりません。 *************** さて、私自身も「もの持ちがよい」方です。手に取ったモノから思い出・情景・音や匂いがすっとよみがえるのは不思議なもの。そう思うとなかなか棄てられないですね。捨てられない気持ち、その思い出を説明したくなる気持ち、十分理解します。 遺品整理ではそんな気持ちを分かち合いながら、お世話になったモノへの感謝と愛情を忘れずに応対します。「この服をきて何処にいらっしゃったのか」「この食器はお好きだったかな」「愛着がある物みたい」・・・会ったことのない方でも、そんなことを考えて遺品に触れる人間がひとりでもいる、それがご供養にもなると考えております。 生前整理の場合は、これからのための片付けです「今、これからを居心地よく暮らすため」のもの。この一日、明日、今週今月をより暮らしやすくするにはまず、無駄なモノを持たない、暮らしやすい空間づくり、と考えております。 私達と一緒に力を貸してくれるスタッフは、限られた時間の中でもお手伝いいただける方歓迎です。ゆくゆくは、明るくやさしく丁寧な仕事のできる、「小さいけれどよい会社」を作っていきたいです。 こちらまで長くお読みいただき、有難うございました。 お会いできるのを楽しみにしております。
遺品整理士
整理収納アドバイザー など
色々な資格をできるだけ勉強しています。
お渡しする名刺裏面には勉強したことを記載しています。
取締役
貫洞拡也 かんどう ひろや
かつての趣味
男は黙って働きます。
後ろ姿写真にて失礼します。
現場では運搬や家具解体など大がかりな作業を担当することが多いため、
ご依頼主様にお会いしないこともありますが、社長とスタッフみんなを補助する立場です。
男気満々に、建設業30年以上の経験を生かしています。
事業部マネージャー
山本幸三 やまもと こうぞう
自動車関係の事業を仲間と始めていましたが、自分でやりたい他のこともあり、生活も気持ちも不安定な頃、1~2度アルバイトでお世話になった貫洞社長からの年賀状が届きました。 自分の事業には時間がかかりそうなので、再度、断続的でも、と思い2022年1月末よりスタッフとして参加しました。 業務内容よりも「稼がなきゃ」で入ったともいえますが、何度か現場での仕事を体験していくうちに、一軒一軒、その家のストーリーが垣間見えてくることがわかりました。全ての現場にちがうドラマがある! 一人一人の生きざま・人間模様が遺品からこんなにイメージできるのかと、段々とこの仕事が面白くなってきました。 更に、依頼主様より「ありがとう。」の言葉を何度も何度も頂くことがあり、ダイレクトなやりがいを感じることも多くなりました。 仕事も次々と入ってきて他のことがなかなかできなくなるくらいになった頃、社長より当社で本腰入れないかと声をかけて頂きました。 それから約2年、多くの現場を経験し、今はリーダーシップを期待される立場ですが、同僚の青木くんは年下でも先輩。そして、今までの自分の経験、スキル、コネクション等も活かし、新しいこと・技術にも挑戦しながら、この会社、この業界で成長し続け、多くの依頼者の方から「ありがとう。」の言葉を頂きたいです。 最近では現場の後に人生や幸福を考える機会にもなっています。おそらく、「こんな生き方して幸せだったのか?」と思えるような遺品・現場も見てきたからかと思います。 車と釣りは詳しいです。
事業部 主任
青木興佑 あおき こうすけ
私は入社前から、特殊清掃、遺品整理に興味をもっていました。 秋葉原の無差別殺人事件を目の前で見てしまい、「人の死」がいきなり自分の前に現れずっと考え続けていました。そして、たまたま「ザ・ノンフィクション」というTV番組で「遺品整理」の特集を見て気になったため、この方面での求人を探し、かんどうサービスの募集を見つけ飛び込みました。 初めての現場はTV番組みたいなのかなとワクワク。でも、特殊清掃が終わった後の最終片付け日で大量の缶詰や瓶詰の処理を担当し、「ドキュメンタリとはずいぶん違うな」と思いました。そして次の現場は「裏ビデオ屋」ワンルーム。ゴミ屋敷で物の山の上を初めて歩きました。 現場の数が増えていくと、TVで見たイメージに近い現場もあります。もっとひどいところもあるかもしれません。ネズミと追いかけっこもしました。通していえるのは「一般の人はやりたがらない仕事」だということ。でも、とても人のためになる仕事だと感じます。 特殊清掃は自分の得意分野、と自信をもっていえるように、今は勉強中です。社長の人脈のおかげで特殊清掃トップ技術の方々が自分達に直接指導してくれる機会にも恵まれています。話し方など下手で世間知らずなところも多く、まだまだな部分も沢山ありますが、こんなに色々なチャレンジが自分にできるとは思いませんでした。もっと能力を伸ばし、お客様にも会社にも喜ばれるようになりたいです。 私自身は、現在シングルファーザーで、就学前の子供の世話や家事にも全力投球、急速な成長を見せる息子に沢山のことを教えながら自分も成長したいと思います。 感謝の気持ちと自分の初心を忘れずに頑張ります。 今の楽しみは子供と散歩、サッカーTV観戦です。