感謝をこめて
母の四十九日法要も済み、本日(2月26日)がまさに七七日、忌明けとなりました。
その節は多くの皆さまに温かいお言葉を頂き、精神的に寄り添っていただいたことを深く感謝いたします。有難うございました。
私よりも先にこのような経験をしていた方々はゴマンといますし、そして身近にもいます。皆さんつらかったのだろう、私は適切な言葉をかけられていたのだろうか?甚だ疑わしく過去の自分を恥じています。
まだまだグリーフ(死別悲嘆)の波は寄せては返し、時には大きなうねりとなります。
一人になった時、実家へ向かう道を運転しているとき、沢山の写真を整理しているとき、かなり危ない時です。そんな時は、流れる涙を止めずに、猫が寝ていれば猫をモフモフと抱きしめ、夫がいれば夫とハグ(but出腹でつっかえる)、いなければ夫の携帯に所かまわずかけメソメソ、で なんとか過ごしています。(これが正しい夫と猫の使い方だと気づきました。)
あの夜FBのメッセンジャーで夜更けまで会話を続けてくれたY子さん。ご自分のつらい経験に重ねて「電話して」と言ってくれたS美さん。私からお願いした弔電なのに生花までお送りくださったY社長、一度も会ったことが無いはずなのに通夜に寄ってくれた同級生の皆さん、長時間ずっと悲しんでくれたスタッフ、実務的に手を差し伸べてくれた盟友Hさん。美しいハガキ絵を送ってくださったE画伯、落ち着いた頃にやわらかいメールをくれたブラジル赴任中のYちゃん。あげればきりがないのですが、本当に皆さま有難うございました。お一人お一人にまたメッセージをお送りできたらと思っています。時間はかかるかもしれませんがお待ちください。
昨年の今ごろは父も母も存命であったことを想うと、あまりにも唐突で今でも信じられません。
どうしてこんなに早く行ってしまったのか・・・あふれる想い、一つ一つの感謝の気持ちは、また別のブログにでもまとめたいと思います。書き始めたらお知らせします。
この経験を糧に、私がお世話になっているこの業界で、きちんとご遺族に向き合える遺品整理のプロになりたいと思っています。
写真は1994年のロンドン・パリだと思います。私がバルセロナから会いに行った形でした。
旅が好きだった両親ですが、私に会いに欧州に来る以外の海外旅行は抽選であたった香港旅行だけだったようでした。



